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ヨーロッパにおけるガラスの歴史(アールヌーボー以前)について記述してみました。
ローマ帝国時代
古代ガラスの技法として挙げられるのは1.コア技法、2.モザイク技法、3.鋳造技法、4.熱垂下法そして5.吹き技法であるが、現在の世界中のガラス工房が行っていいる吹き技法は紀元前50年頃このローマ帝国時代に発明された。古代における吹き技法による作品は西は大西洋岸から東はペルシア湾岸、北はライン川、南はサハラ砂漠まで広がった技法であり、この地域から出土するグラスをローマングラスと呼ぶ。
ローマ帝国時代初期に様々なグラスが発明される。それは多色のリボングラス、ミルフィオリグラスそしてカメオグラスである。特にカメオグラスは高値で売買されたようである。
コア技法−耐火粘土などで作った芯に色ガラスを巻きつけ冷却後、中の粘土をかきだすというもの。
モザイク技法-器の原型を基にして作った内型(凸)と外型(凹)を用意し外型にモザイクの切片を敷き詰め内型を上からかぶせ重石を上から載せ窯で焼くというもの。イタリアのミルフィオリの器はこの方法にて今でも製作されています。
鋳造技法−鋳造の技法は金属製作で行われていて、その応用であったようです。鋳型は開放式のものが用いられました。
熱垂下法−熱垂下法には2種類の方法があります。
縁熱垂下法−半円形の型の開いている面を下にしその上に円形のガラス板をのせ加熱します。そうすると板の縁の部分が型に沿って垂れてきます。
中心熱垂下法−円形のガラス板を円筒形の耐火物の上におき加熱します。すると中心部分が下へ垂れ下がります。
吹き技法−吹き竿の先に溶けたガラスをつけ息を吹き込み膨らまし、溶けたガラスのついた竿の先を膨らましたガラスの底につけ吹き竿からガラスを切り離し、口の部分を加熱しながら成型します。
ササン朝時代
四世紀末にローマ帝国が東西に分裂、476年に西ローマ帝国が滅亡するとササン朝ペルシアが勢力を伸ばしメソポタミア地方とイランを支配するようになる。この時代の技法は基本的にローマ帝国時代のそれと同じであるが、中には切子や突起装飾を施した作品も発見されている。正倉院の白瑠璃碗はこの時代にシルクロードを経て伝えられたとされている。ローマ帝国時代グラスを溶融させるアルカリ分を地中海産の良質な天然ソーダを使用していたのに対しササン朝時代では砂漠の植物の灰をアルカリ分として使用していた為、淡褐色や淡緑色のものが多い(ソーダ分以外の不純物の為)。
突起装飾−吹き竿の先に溶けたガラスをつけ息を吹き込み膨らまし、まわしながら溶けたガラスをつまみ、突起をつくります。
カット装飾−ガラスの器を作り、回転ヤスリのようなもので表面を削ります。(正倉院の白瑠璃碗は上から18個のカットが4段、次に7個のカット、底部に大きなカットが1個施されています)
イスラム時代
七世紀に入るとササン朝は衰退し、代わってイスラム勢力が拡大する。イスラム時代ではシリアのダマスカスやアレッポ、エジプトのカイロを中心に、ローマ帝国時代及びササン朝時代の技術をベースに様々なものが作られた。中でも最も華麗なのがエナメル金彩の装飾で、アラビア文字や植物のつる、葉、花を図案化したアラベスク文様で豪華に埋め尽くすところに特徴がある。エナメル彩の器は「イスラムの華」としてヨーロッパにおいて珍重されました。とりわけ珍重されたのがモスクランプでコーランの一節を取り入れたモスクランプはいくつもモスクに吊り下げられました。
エナメル装飾-ガラスの粉末を植物性油で溶き、それを表面に筆で描き、低温にて定着させる技法で、十五世紀に入ってヴェネチアにて盛んに行われる。
ヴェネチア時代(ムラノグラス)
ガラスを製造する燃料、原料のないヴェネチア。他の産地と製品の質、デザインの差別化を図るため、十三世紀ヴェネチア政府は当時最も進んだ製造技術をもっていたアンチオキアと協定を結び原料をはじめガラス職人までヴェネチアに移すことに成功しました。ローマ帝国−イスラム時代の技術の蓄積そしてそれの応用、今日行われているガラスの加飾法はこの時代のヴェネチアで確立されたものが殆どである。他の地方への職人の流出を恐れたヴェニス政府は職人をムラノ島へ幽閉し、そこでグラスの製造を続けさせましたが、そんな監視下においても逃げ出す職人はおり、各地へ散らばっていき、ガラス技術を各地で指導した。そういった他地方でつくられたヴェニス様式のグラスをファソン・ド・ヴニースと呼ぶ。十五世紀−十六世紀はじめにかけイタリア、ルネッサンスの流れをうけガラス工芸技術は頂点に達する。この時代、一番注力したのがエナメル装飾で、ヨーロッパの貴族たちは華麗に絵付けされたガラスを競って買い求め、やがてエナメル絵付けのグラスを持つことがひとつの社会的ステイタスとなりました。そしてヴェネチアで発明された一番重要なものは無色透明グラス(クリスタッロ)の発明であり、この時代にこの地方で作られたグラスは各地で高値で売買された。その他の発明された技術として、ダイヤモンド彫り、レース技法などがある。
カリクリスタル
ドイツなどでは中世より、植物の羊歯やブナの灰をアルカリ成分として作られるヴァルトグラスが広く作られていた。ヴァルトとは森林を意味し、森林の中に設置された窯で作られたグラスの総称である。ただ、灰の中に含まれる鉄分などで色がかかった物が多く主に大衆向けに量産された。15世紀から17世紀にかけシュタンゲングラスやレーマー杯などが多く作られ、ライン川の下流域のオランダにおいても作られた。18世紀になると小さな円形の銅板で透明なカリグラスの表面に文様を刻むグラヴィール技法が南東部ドイツで発達した。
一方現在のチェコに位置するボヘミア地方で、十七世紀末になるとカリ灰を用いたボヘミアンカリクリスタルが発明され、一時代を築くことになる。当初のボヘミアンクリスタルは安定的に生産することはできなかったが、十八世紀になると安定生産されるようになり、高度な技法によるグラスは世界各国に輸出され、ムラノ島のグラス職人も真似たほど隆盛をきわめた。そして鉛クリスタルがイギリスで発明されると、ガラス工芸の勢力地図は鉛クリスタルへとシフトしていく。しかしそんな中、ボヘミアのフリードリッヒ・エーゲルマンによって画期的な色被せガラスの作成方法が発明される。それはグラスの表面に銀や銅化合物の溶剤を塗り還元の窯にて化学反応をおこし、発色させ、表面をグラヴィール装飾するというもの。
鉛クリスタル
高級ガラス器をヴェネチアからの輸入に頼っていたイギリスであったが、イギリスのガラス販売業組合は自国製品の開発を始めた。そして1676年、ジョージ・レイヴンズクロフトにより鉛クリスタルが発明された。鉛クリスタルとはガラスの溶融剤として使われるアルカリ原料の代りに鉛を溶融剤としてつかうというもので現在、一般的にクリスタルといえばこの鉛クリスタルをさす。ガラスが柔らかいうちに複雑な加工を施すヴェネチア風装飾には不向きであった為、装飾方法は独自のものを開発することになり、ツイストステム、カラーツイストなど数多く作られた。18世紀後半になると光の屈折率が高く、ガラスの性質が大胆なカッティングにむいている鉛クリスタルは世界中に輸出されるようになり、徐々にボヘミアンカリクリスタルの市場を奪っていくようになる。当時ガラス工芸後発国であった国々に大きな影響をもたらした。
このページを作成するにあたり以下の文献を参考にさせて頂きました。
古代ガラスの技と美(古代オリエント博物館・岡山市立オリエント美術館)−山川出版社
ガラスと文化(由水常雄)−NHK出版
ガラス−平凡社
世界ガラス工芸史 カラー版(中山公男)−美術出版社
どちらの書物も非常にわかりやすく解説してあります。上記述はほんのかいつまんで書いただけですので更に歴史を学びたい向上心のある方は書店にてお買い求めください。
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